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趣味に敗者は必要なのか?というお話

  • 2023年7月11日

加藤です。

 久しぶりに記事からのお話ではなく、テーマからのお話を少々。本日のテーマは「趣味に敗者は必要なのか?」というお話です。

 昨今、趣味と呼ばれるものが「勝負を伴うもの」と「自らの満足のために行うもの」の両極端に分かれてきているにも関わらず、どうにもこの二つの要素が1つのジャンルの中に混在し、無意味な議論を巻き起こしている場面を多く目にします。

 いつも例にあげるのは私が趣味としているラジコンカーの世界のお話ですが、いわゆる「競技系」と言われる専用サーキットでレースをすることを基本として、勝者のみが生き残るという世界。反して、キットを手にして組み立てるだけで楽しい、自分一人で動かして楽しい、飾るだけで楽しいというエンジョイ勢と言われる世界。もちろん競技系の中にもユルく勝った負けたを楽しむという方もいらっしゃいますが、根底にあるのは「速い人間が偉い、遅い人間は意味がない」という勝利至上主義と言われるものです。この対局な人種が最近ではSNSやサーキットの現地で確執を生んでしまっています。

 そもそもですが、趣味として競技を楽しむという方の取り組み方はどうみても趣味というよりセミプロのような取り組みをされている方が多く、趣味という言葉で本当にくくってよいのか?という気持ちを日々持ちます。惜しみなく道具にお金をかけ、パーツは使い捨て、危険よりも自分のメリットと思わることを優先する、これは趣味ではなく仕事に近い取り組み方ではないでしょうか?(仕事で危険覚悟なんてダメですけどね)逆に、見て・動かして楽しみ、自分の予算範囲で楽しむという方のほうがよほどラジコンカーを趣味としていると言っていいのではないでしょうか?

 以前に、マニアが業界を衰退させるというお話をしたことがありますが、このマニアと言われる「自称セミプロ」が増えてくると、一時的にお金が動くように見えますが、SNSやYoutubeなどで情報拡散が早い昨今では、サイレントマジョリティーの層が「なんだか難しい、面倒な世界だな」と世界に入ってくる前に興味を失うという状況を生み、結果業界が衰退するという状況に陥ります。

 ラジコンカーも新型コロナウイルス感染症の拡大により、少々お金の使い方やライフスタイルが変わることで、子供の頃に楽しんだラジコンカーをちょっと触ってみたいというユーザーがそれなりの盛り上がりを作ってきましたが、それもSNSやYoutubeでのセミプロ発信の増加により下り坂に入ってきていると言われる業界関係者の方も増えてきました。

 これはラジコンカーに限らず、競技性を伴うスポーツや趣味の世界全てで言えることであり、今一度申し上げたいのは、趣味に敗者が必要なのか?というタイトルのお話です。趣味と言われる領域をビジネスとして取り組んでいる企業にとっては、ユーザーが敗者となりその世界への興味を失ってしまうことが一番の損失です。また、ユーザーもせっかく楽しみを得ようとして取り組み始めたのに、苦痛しかない物事をあえて続けるモチベーションのある方などほんの一握りでしょう。

 もちろん競技のルールをうまくコントロールし、誰もが敗者にならないという取り組みをされている方ももちろん知っておりますが、ラジコンカーの世界で言えば、全日本選手権への参加ユーザーがピーク時から激減しているという現実を見れば、セミプロ的競技ではユーザーを取り込めないということが奇しくも立証されていると言えるのではないでしょうか?

 趣味を修行とせず、人生を豊かにする手段として改めて考えていくとすると、競技性よりも楽しさや嬉しさをもっと前面に出していき、絶望を伴う敗者という存在を生み出さないという工夫が必要ではないでしょうか?ちなみに本日はあえて「趣味」という切り口でお話をいたしましたが、職場においても敗者を作らないというのは同様にリソース不足な昨今ではとても重要な要素であったりします。

 本日は趣味に敗者は必要なのか?というテーマでお話をしてみました。マウンティングや否定、押しつけといったものが多様な選択肢のある昨今に似つかわしくなってきていると感じている中でしたので、あえて極端な形でお話をいたしましたが、最後に触れているとおり、ビジネスシーンであっても会社として成功をすることが最大ミッションであり、個人成績だけで評価をするという部分を見直していくことが長く会社を維持する秘訣になっていくかもしれません。

 本日のお話が皆様の参考になれば幸いです。